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どんな世界になっても、永続的に地域に「ぬくもり」を届け続ける。

株式会社パンセ
代表取締役 菊地 肇

更新日:2018年3月07日

1948年宮城県生まれ。40歳で地場の流通小売業を脱サラし、パンの宅配業、スーパー内のインストアベーカリーを営む「グルメライフ販売株式会社」を設立。2004年に業態転換し、郊外型路面店タイプのベーカリーショップ「パンセ」の展開を開始。その後、社名も「株式会社パンセ」に名称変更。宮城県内に11店舗を展開。
※所属・役職等は取材時点のものとなります。

創業

最近は折に触れて起業のいきさつを聞かれる機会が増えました。創業以来の黒字経営などのせいか、私を慎重派・堅実派と思われることも多いのですが、実は成り行きで起業しました(笑)。

私は、1970年に地元の流通業の企業に入社しました。会社員として働き詰めの18年間を過ごし、この時代に鍛えられたことが、今を支える基盤になりました。一方で、40歳の誕生日を迎える頃、自分が今の仕事以外に何も知らないことに気付いて、転職先やその後のことを考えることもなく辞表を出したんです。

するとすぐに、退社したことを聞きつけた大学時代の先輩から、「パンの宅配事業」をやらないか、とお声がけをいただいたのです。自費の出資を含んだ起業の話でした。パンのことも知らない、ましてや会社経営のことなんて何も知らない、という状態でしたが、「まあ、なんとかなるか」と、生来の楽観性から事業を始める事にしました。平成元年のことです。パンの宅配のための車2台、事務1名ともう1人大学の後輩、という3人での徒手空拳のスタートでした。

事業の成長と裏腹の危機感

パンの宅配から事業を始めましたが、その後、大手流通業のスーパー内のインストアベーカリーのお話をいただくようになり、宮城県外も含めて最大18店舗にまで拡大しました。

一見、順調に見える成長でしたが、目先の好調とは裏腹に、私には危機感が芽生え始めていました。商売は順調ですが、店舗を構えるスーパーの出店が激化。ほんの僅かだけれども、商売が下降する兆候を感じていました。

自社の将来について必死に考えていたとき、関東の郊外型路面店の情報を知りました。「これは仙台でもできるのではないか」と考え、すぐに関東に飛びました。

創業16年後の、本当の創業。「パンセ」誕生

視察後、すぐに幹部を招集し「わが社はインストアベーカリーの会社から郊外型路面店を経営する会社に業態転換する」と宣言。社員は半信半疑だったと思います。ですが、私は本気でした。事実、用地が決まる前に、既存店の内8店舗の撤退を決定してしまいました。

創業から16年、私は57歳。「パンが焼けない経営者」が経営するパン屋の始まりです。周囲からは「正気の沙汰じゃない」「そんなの無理だ」「なぜその年齢で」と散々言われました。

実際、大きなチャレンジです。1店舗作るのに1億円以上かかります。何より、インストアベーカリーから郊外型路面店への業態転換は「ついで買い」から「目的買い」への転換で、自分にとっては異業種を始めるくらいの感覚でした。しかし、周囲がなんと言おうと、避けられないチャレンジだったんです。

スーパー業界の状況に対する危機感はありました。ですが、何よりも自分自身が、今のままでは「自分の商売ではない」と感じていたんです。インストアは、業績もですが、定休日も品揃えも、運営方針も、スーパーの意向や環境にどうしても左右されます。お客さまのためになる商売を、自分の思ったとおりに進めることができない、と感じていました。経営にダイナミックさを出せないもどかしさがあったんです。

何より、これでは従業員に対する責任を果たせない、という気持ちがありました。自己紹介しても「あーあのスーパーの中のパン屋さんの・・・」という按配で、認知もされていない。きちんと利益を出して社員に還元はしていたものの、「これで、社員の誇りや自信はどこにある?」と、そう考えていました。

ですから、平成17年の郊外型路面店出店は、私にとっての「創業」です。経営理念と社員以外、すべて変わりました。すべて捨てて、別会社にしたんです。そして、ダイレクトにお客さまに喜んでもらえて、社員が誇りに思える会社にしたつもりです。

その後、社名も屋号をとって「株式会社パンセ」に変更。現在は、宮城県内に11店舗のベーカリー、2016年には、オリジナルブランドの洋菓子店とカフェも出店するに至りました。平成16年のあの決断がなければ、今、こうして取材を受けることもなかったでしょう(笑)。

社員への思い

会社を始めて3年、4年と経過するころ、当時はインストアベーカリーの出店も増えて、社員が次第に増えていきました。この頃から、「この人達のために経営しなければ」と考え始めました。経営者団体に入って勉強を始めたのもこの頃。

学んだことは、「経営とは社員を幸せにすること」「経営者の経営責任」ということでした。そのためにどうすれば良いのか。その答えが、「経営指針を作り、理念を社員に浸透させていくこと」でした。

当時は定着率も悪く、「6人入れば5人辞める」という状況。でも、「わが社が何を大事にしているか、それを理解してくれる理解者に残ってほしい」という思いでしたから、理念を説き続けてきました。

今も毎年実施している「経営指針発表会」も、その取り組みの一つ。従業員全員と、お取引業者さま、関係各位を招いて、自社や自分の店舗の経営計画や方針を、オープンにする場なのですが、社員が自社のことを外部に語りかけることによって、社員が自分の仕事に誇りを持てるような場となっていると思っています。

実際、外部からのレスポンスを非常に喜んでいる。そして、そこは表彰の場にもなっていますから、仕事に関わる良い刺激にもなっている、と考えています。

人間性が出来ていれば、美味しいパンは作れる

弊社の基本大方針は、「時を守り、場を清め、礼を正す」です。この大方針ができれば、わが社が大事にしている「焼きたて、揚げたて、作りたて」の「3たて」ができる。つまり、人間性ができていれば美味しいパンを作ることができ、お客さまには喜んでいただけるんです。嘘をつかない、怠けない、ごまかさない、そこに尽きます。

パンセでは、レジで会計直前であってもパンが焼きあがれば、そのパンをお取替えします。このお取替えを、パート社員までもが実践できることを驚かれる方がいらっしゃいますが、なぜこれができるか?それは、喜んでもらったスタッフ自身が嬉しいからです。

人間として正しいことをしていれば、喜ばれる。喜ばれれば嬉しい。嬉しいことは長く続く。そしてそのスタッフの喜びはお客さまに伝播する。これがパンセのサービスです。逆に、1人でもブスっとしたスタッフがいたら、パンセはパンセでなくなる。

「100-1=99ではないよ」と、よく言っています。私たちの店では「100-1=0」なんです。「パンセだったらやって当たり前」という、そういう水準に私たちはいる。伝承していくべきは、この価値に他ならないと思います。

承継し続けるのは「ぬくもり」

結局、企業は永続こそがすべてだと思っています。「社員の成長・幸せ」「お客さまの喜び」「会社の成長・発展」すべてを両立させながら、永続させていくことに尽きる。つまり理念の承継です。それを実現するのは、他ならぬ社員です。短期の数値目標や規模の目標などはありますが、最終的にはこれに尽きる。

そのために、特に今は、社員の労働環境整備などの内部固めが重要と思っていますね。この後、どんな時代が来ようとも、パンセは、永続的に地域に笑顔を与え続ける会社でなければなりません。だから「その行動はパンセか?」と、社員は常に自らに問い直しています。

100人いれば100人が温かい。新人が入ってきても、すぐに温かい対応ができる。お客さまも従業員も、「パンセに関わる人すべて」が温かい気持ちになる。その風土、文化を創っていくのが私の仕事、と思っています。そのために、経営者としては何よりも、社員の幸せを笑顔を重要視したい。それがお客さまの笑顔につながるのですから。

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