転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
「もともと地元宮城が大好きだった」という柴田麻美さん。東京で3年ほど経験を積んだら宮城へ戻ろうと考えていたものの、コンビニチェーンでの商品開発は予想以上に面白く、「気がついたら、30歳を超えていた」という。家庭の事情をきっかけにUターンを真剣に考え始めたものの、「自分がスキルアップできる場所で働きたい!」という希望は譲りたくなかった。そんな柴田さんに、リージョナルキャリア宮城のコンサルタントが提案したのは、求人票も出ていなかった企業へのチャレンジだった。「業種や職種ではなく、働き方にこだわって探したからこそ、マッチングする会社と出会えた」と振り返る柴田さんのUターン転職体験談を紹介しよう。
沢田広幸さん(仮名)が転職したのは、同じ仙台市内の会社。仕事も前職と同じ経理職だったが、会社の規模も雰囲気も全く違うと沢田さんは話す。以前の会社は経営陣のトップダウンの傾向が非常に強く、一方的な指示や命令に振り回されることもしばしば。同僚たちはあきらめ、我慢を決め込んでいたが、沢田さんは違った。「自分にはまだチャンスがあるはず。ここにとどまっていたらいけない」と退社を決意し、リージョンズの紹介で、大手自動車販売会社への転職に成功。「いちばん嬉しいのは、仕事に集中できるようになったこと。家族との時間も増えました。あのとき決断して本当によかった」と振り返る沢田さんの体験談を紹介する。
高橋幸寿さん(仮名)が転職を思い立ったのは、36歳のとき。東京のアミューズメント施設運営会社で経理として活躍していて仕事は順調だったが、胸にいつもあったのは、「東北に帰りたい」という想い。もともと仙台にあった拠点に入社したものの、東京への転勤生活を強いられていたのだ。子どもが生まれると、「両親に孫の顔を見せたい」「頼れる人たちがいる場所で子育てをしたい」と、Uターンへの想いはますます強くなる一方。しかし、「自分の年齢はすでに転職の壁とささやかれる35歳を超えており、地元へ帰れば労働条件も悪くなるのではないか...」と不安だらけだったが、同じ東北出身の妻の応援も受けて、Uターン転職を決断。すると、当初の不安とは全く逆の結果に。「自分を必要としてくれる会社に出会え、収入も増えたんです」と、嬉しそうに語る高橋さんに体験談をうかがった。
桑田優一さん(仮名)は大阪の繊維商社で14年間勤め、海外ブランドの国内展開に大きく貢献してきた。神戸に住まいを構え、子どもも2人生まれて順風満帆な日々。ところが2011年、大きな転機が訪れた。東日本大震災だ。桑田さんは、福島県南相馬市の出身。ふるさとが被災し、なかなか立ち直れない状況を見聞きするにつれ、「自分だけ、遠くにいていいんだろうか?」と自問自答するように。数年後、Uターンを決断するものの、当時在籍していた会社に引き止められ、思うように転職活動ができない。そんなとき、助け舟を出してくれたのが、リージョンズのコンサルタントだった。その後、東北のアパレル企業と出会い、経営戦略室の室長として迎えられた桑田さん。「40歳を前に、ステップアップできる土俵をもらえ、なにより帰ってきて気持ちがすっきりしました。ずいぶん迷いましたけど、決断して本当によかった」と振り返る桑田さんに、体験談をうかがった。
田中美江さん(仮名)は、宮城県出身。だが北関東の大学で学び、そのまま県内の設計事務所に就職。「両親のために、いつかは地元に帰りたい」と思っていたものの、日々の忙しさに追われて、15年以上、同じ地で建築設計を続けてきた。だが気がつけば、自分もまもなく40歳。両親もそれだけ歳をとってきた。「今が決断するタイミング」と見定めた田中さんは、転職を決意。「地元に帰れるなら、どんな仕事でもやる」と心に決めて、転職サイトに登録した。さまざまなオファーメールが届いたが、メールの文章に好印象を持ったリージョンズに返信。面談を経て紹介されたのは、土木設計の仕事だった。「分野は違うけれど、設計は大好きな仕事。ラッキーでした」と話す田中さんは、こうも話す。「地方に仕事はない、という人もいますが仕事はあります。思いこみやこだわりを捨てれば、チャンスは飛び込んでくるはずです」。
井上沙織さん(仮名)は福島県の出身。宮城県にある大学へ進学し、卒業後は山形県本社の製造業に新卒入社したという、生粋の東北人だ。しかし、最初に配属されたのは東京。「勉強のため」と自分を奮い立たせ、東京でがんばって働いていたが、離れてみて改めて地元・東北の良さを強く感じるようになったという。また、転勤が非常に多く、東京から大阪へ、大阪から再び東京へ、次に京都行きを命じられたとき、東北に戻りたいという思いが、決意に変わった。「辞めます」と会社に伝えたことで、自分自身のモヤモヤした気持ちが吹っ切れ、転職活動へのスイッチが入ったという。しかも、長年の憧れだった旅行代理店への転職に成功。「転職には勢いも必要ですよ」と話す井上さんに体験談をうかがった。
太田健次さん(仮名)は、元大手金属メーカーの営業。国内のみならず、アメリカの現地法人でもセールマネージャーとして活躍し、将来を嘱望される存在だった。だが、太田さんの胸に常にあったのは、ふるさと宮城のこと。特に東日本大震災以後は、宮城の活性化のために自分の経験を活かしたいという思いが強くなったと言う。新たな異動の辞令がおりたことを機に、Uターンを決意。選んだのは、小さいながらも地場で堅実に歩んできた商社だった。仲間と一緒に倉庫作業などにも汗を流しながら、経営企画室室長として会社の新たな成長戦略づくりに挑んでいる。「宮城が被災地として外から助けられてきた時期はやがて終わる。今度は外で学んできた自分が、宮城に新しい仕事を生み出していければ」と夢を語る。