株式会社フクヤジャパン
桑田優一さん(仮名・事業マネジメント) 38歳
震災で芽生えた、地元への想い。自分を必要としてくれる会社との出会い。
桑田さんは大阪の繊維商社に14年間勤め、海外ブランドの国内展開に大きく貢献してきた。神戸に住まいを構え、子どもも2人生まれて順風満帆な日々。ところが2011年、大きな転機が訪れた。東日本大震災だ。桑田さんは、福島県南相馬市の出身。ふるさとが被災し、なかなか立ち直れない状況を見聞きするにつれ、「自分だけ、遠くにいていいんだろうか」と自問自答するようになった。
数年後、Uターンを決断するものの、当時在籍していた会社に引き止められ、思うように転職活動ができない。そんなとき、助け舟を出してくれたのが、リージョナルキャリア宮城のコンサルタントだった。その後、東北のアパレル企業と出会い、経営戦略室の室長として迎えられた桑田さん。
「40歳を前に、ステップアップできる土俵をもらえ、なにより帰ってきて気持ちがすっきりした。決断して本当によかった」と振り返る桑田さんに、体験談をうかがった。
※本記事の内容は、2017年12月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで680日間
転職前
- 業種
- 繊維専門商社
- 職種
- ライセンス業務
- 業務内容
- ブランドのライセンス権を東南アジアの企業と契約し、各国でのブランドバリューを向上させるための企画、宣伝、販促のやりとりや、新規商品および販路の開拓
転職後
- 業種
- 服飾小売
- 職種
- 事業マネジャー
- 業務内容
- 複数店舗の管理運営、新規店舗の開発・立ち上げ、店舗改装業務、新規商品及び業態の開発、人材の採用・育成等、事業部門のマネジメント全般
父が体調を崩し、子どももどんどん成長。「決断のリミット」を痛感する。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
宮城県内でアパレルやインテリア雑貨の小売販売と、不動産賃貸事業を展開している会社で働いています。ポジションは、経営戦略室の室長。社長からおりてくることを実行する役割ですね。
例えば、新店のオープンや、新たなブランドの開拓・契約から、各店舗の予算組み、店長とのやりとり、人材の採用、ホームページの管理、棚卸し、会議室の会場づくりまで(笑)、幅広く携わっています。
入社前のご経歴を教えてください。
アメリカの大学で5年間勉強した後、22歳で帰国。語学を活かしたかったので、大阪に本社がある繊維の専門商社に就職しました。以来、神戸に住みながら、大阪に通う生活を続けてきました。
部署も14年間ずっと同じ「ライセンス事業部」。海外ブランドを探して契約し、日本国内で展開していく仕事です。ブランドバリューを向上させるための企画や宣伝、販促、そして新規商品や販路の開拓などを担当しました。
最後は「主任」というマネージャー的なポジションで、ブランド本国とのデザインに関するやりとり、契約各社へのプレゼンテーションといった業務も任されていました。
転職のきっかけは?
きっかけは二つありました。一つは東日本大震災です。私は福島県南相馬の出身なので、あの惨状を見たときにすごくショックを受けました。
時間が経過しても、南相馬の状況は悪くなるばかり。その様子を見聞きするうちに、「このまま自分だけ遠くにいていいのか」という気持ちが湧き上がってきました。とはいえ、当時は一人で悶々と考えているだけで、具体的な行動はせず、ずっと迷っていたんです。
動き始める直接のきっかけになったのは、父親が体調を崩したことでした。親の問題が急にリアルに感じられるようになりました。加えて、上の子が小学3年生になり、もっと大きくなれば帰りにくくなるし、自分の年齢的にも転職のハードルが高くなってくる、などと考えていくと、「リミットが近づいている。そろそろ決めなければ」と思ったんです。
思い切って妻にも自分の気持ちを話したら、理解してくれました。そこで、転職活動を本格的に始めることにしたんです。
転職活動はどのように進めましたか?
実は、転職する2~3年前からリージョナルキャリア宮城にエントリーしていました。そこまで本気ではなかったのですが、転職市場で「自分がどれくらい評価されるんだろう?」「どんな仕事があるんだろう?」ということが知りたかったんです。しかし当時は、自分の希望を具体的に書けなかったこともあり、オファーはまったく来ませんでした。
ですから、Uターンを決断してからまず最初にしたことは、自分の情報のアップデートです。勤務地は仙台、業界はできればアパレルで、といった希望や、キャリアイメージなどをあらためてコンサルタントに伝えました。
仙台を希望したのは、実家まで車で1時間程度で帰れますし、大きな街なので仕事もいろいろあるだろうと考えたからです。
それと同時に、前職の社長にUターンのことを話しました。すると「気持ちはわかったが、今やめられたら困る」と言われ、結局一年待つことに。そうなると、なかなか転職活動も進みません。入社希望時期が一年後では、どこも誘ってくれないですよね。
そんなとき、リージョナルキャリア宮城のコンサルタントが、「こんな会社がありますよ」と連絡をくれました。私がすぐには動けないと伝えると、「入社時期は関係ありません。長い目で必要な人材を探していらっしゃるんです」と紹介してくれたのが、今の会社でした。
今の会社に決めたポイントは?
一番の決め手は、「誰でもいいから補充したい」というのではなく、自分のことを「必要だ」と言ってもらえたことです。そこは本当に大きかったですね。まもなく社長が代替わりする予定があり、次期社長と一緒に会社を動かしていく直属のスタッフが必要だということでした。
そういう立ち位置で仕事ができるのは、自分にとってもステップアップになります。アパレル業界なら今までの経験が活かせますし、しかも私が転職できるまで「待つ」とも言ってくれました。これが縁だなと感じましたし、「やるしかない!」という気持ちになりました。
悩むのには理由がある。自分としっかり向き合って決めた転職なら、後悔しない。
転職していかがですか?
なかなか大変です(苦笑)。前職より多岐に渡る仕事を任されるようになりましたが、誰かがそのやり方を教えてくれるわけではありません。「この仕事はどういう視点で見ればいいんだろう?」と、本当に頭を使います。
前職も忙しくはありましたが、同じような業務をこなすだけでよかったんです。でも今は仕事の範囲が広く、頭の切り替えがとても難しいと感じています。
ただ、新しいやりがいはあります。基本的に仕事は社長に報告、確認しながら進めているんですが、ときどき社長に言われるんです。「確認は大事だけど、それに固執するとタイミングを逃がすこともある。もっと自分で決めるスタンスでいい」と。なるほどと思いました。今までになかった責任の重さも感じますが、自分の裁量で仕事を動かしていく充実感があります。
転職して良かったと思うことは?
仕事の面では、40歳を前にして、責任は伴うけれど自分の考えをしっかりカタチにできる土俵ができたことです。プライベートの面では、あのモヤモヤした気持ちのまま神戸にいたら、どこかできっと後悔していただろうなと思いますね。そこを吹っ切れたのは、本当に良かったと思います。
休日は、家族で私の実家へ遊びに行き、畑で採れたものを食べたり、庭でバーベキューをしたり、みんなでお墓参りをしたりしています。田舎の生活を楽しんでいる家族の姿を見ると、「帰ってきて良かった」としみじみ感じます。
困っていることや課題はありますか?
大きなことはないんですが、ちょっとした違いは感じますね。例えば、15年も関西にいると、会話のテンポが違うんですよね(苦笑)。こちらが言わんとすることが伝わってないと感じることも、最初はよくありました。
生活面の変化はありましたか?
今は仙台市内の賃貸マンションに住んでいるんですが、通勤はかなり楽になりました。以前は朝6時半に家を出て、電車に1時間乗って通勤していましたが、今はバスで20分ほど。しかも出社が9時半なので、毎朝娘を幼稚園に送ってから出勤できるようになりました。
こちらに来てから本当に家族との時間は増えましたね。以前は帰宅が毎日23時くらいだったので、子どもはもう寝ていたんです。今は早ければ20時前には家にいるので、子どもと一緒に夕食を食べられます。今は休みもシフト制なので、平日の学校行事などにも行きやすくなりました。
それから、妻もこちらに来てから働き始めました。もともと、妻は仙台には知り合いもいませんでしたが、仕事を通じて人間関係もでき、最近は会社の人と飲みに行くこともあります。妻自身にとってもいいことだと思っています。
子どもも最初は戸惑っていたようですが、半年も経てばすっかり馴染んでいました。友達もできたようで、息子は地域の野球チームに入って頑張っています。子どもたちがすんなり溶け込んでくれたので、安心しました。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
人生の転換期といいますか、ターニングポイントを迎えたときに「ああしておけばよかった」と後悔するのが、私はすごく嫌だったんです。確かに思いつきで行動するのはよくないかもしれない。でも迷って、悩んで、考え続けて、それでも気になるのなら、そっちが答えなんじゃないかと思います。
「あとあと自分が後悔しないのはどっちなんだろう?」この問いをベースに考えたらいいと思います。悩んでいるということは、現状に満足していないということ。満足できない理由や、他に求めているものが、なにかしらあるんだと思います。そこにストップをかけてしまうと、あとで後悔するんじゃないでしょうか。
行動しなかったことへの後悔は大きいと思います。それが大切なものであるほど。仕事は毎日のことじゃないですか。どんなに収入が良くても、もやもやする毎日より、多少収入は下がっても、頑張ろうと思える毎日の方がいい。
自分自身のためにも、1つのことしか知らない自分より、いろいろなことにもがきながら挑戦している自分の方が、「どこででもやっていける」という自信がつくと思います。