転職成功者インタビュー

株式会社福田商会
太田健次さん(仮名・経営企画) 38歳

大手企業で出世するよりも、大手企業での経験を地元に還元したかった。

太田健次さん(仮名)は、元大手金属メーカーの営業。国内のみならず、アメリカの現地法人でもセールマネージャーとして活躍し、将来を嘱望される存在だった。

だが、太田さんの胸に常にあったのは、ふるさと宮城のこと。特に東日本大震災以後は、宮城の活性化のために自分の経験を活かしたいという思いが強くなったという。

新たな異動の辞令がおりたことを機に、Uターンを決意。選んだのは、小さいながらも地場で堅実に歩んできた商社だった。仲間と一緒に倉庫作業などにも汗を流しながら、経営企画室室長として会社の新たな成長戦略づくりに挑んでいる。

「宮城が被災地として外から助けられてきた時期はやがて終わる。今度は外で学んできた自分が、宮城に新しい仕事を生み出していければ」と夢を語る。

(※本記事の内容は、2014年12月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで41日間

転職前

業種
鉄鋼業
職種
資材調達→国内営業→海外営業→営業マネージャー
業務内容
大手金属メーカーに勤務。メインキャリアは営業職。北米駐在を経て、直近は主に海外全般の販売戦略・市場分析、および欧州、米国、南米地区の営業担当

転職後

業種
飼料・肥料・農薬・その他農業関連資材卸、ホテルの経営
職種
経営企画
業務内容
経営者のブレーンとして多岐にわたる経営課題の洗い出し、解決策の立案・実行

異動の話で決断。会社で出世することが、自分のビジョンではない。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

地場の商社で経営企画室の室長をしています。飼料や肥料といった農業関連資材の卸やホテル運営、貸しビルなどの不動産業を行っている会社で、年商は30億円ほど。そんな会社で、全社的な課題の洗い出しから、市場分析、新しいアプローチの検討、ホテルの数値管理、不動産の管理業務まで、幅広い改善に取り組んでいるところです。

入社前のご経歴を教えてください。

ずっと大手金属メーカーで働いていました。資材調達を3年経験した後、鉄鋼材料の営業に異動。アメリカへも赴任し、現地法人のセールスマネージャーを5年経験しました。その後は東京本社に戻り、マーケティングなどの営業企画と輸出営業担当を任されていました。

転職のきっかけは?

もともと、「いずれは宮城に戻ろう」という気持ちが何年も前からありました。震災の影響も大きかったですね。「いずれ帰ろうと思っていた場所がなくなるかもしれない」と思うと、早く帰って貢献したいという想いが強くなりました。

具体的に行動を起こすきっかけになったのは、異動の話が出たこと。社内での標準的な異動サイクルを考えると、「やっぱり来たな」と思いました。将来的なステップアップを見据え、必要な経験を積むためのローテーションだと説明されましたが、迷いはありませんでしたね。

その会社で偉くなっていくことは、自分のビジョンにはありませんでした。目指しているものが違っていたのです。私は、大手企業で勉強したことをいつか宮城のために還元したいと思っていましたから。

転職活動はどのように進めましたか?

実は、異動の話が出る前から、「そろそろかもしれない」と思っていたので、少しずつインターネットで探し始めていました。東京と宮城では距離もありますし、自分1人では難しいと思ったので、4つの転職支援会社に登録しました。

職種は、経営に近い仕事や事業企画を希望していたので、あまり数はありませんでした。リージョナルキャリア宮城を含めて、転職支援会社から紹介された求人は全部で5つ。その中で経営企画を紹介してくれたのは、リージョナルキャリア宮城だけでしたね。

大手の転職エージェントからは「営業マネージャーはどうですか?」といった話ばかりで、ピンときませんでした。大手の転職支援会社は、地方求人の数をあまり持っていない印象でした。

入社を決めたポイントは?

事業を多岐に渡ってやっており、自分のいろいろなキャリアが活かせそうだと感じました。販売事業では自分の営業経験が活かせますし、ホテル事業では語学力が活かせそう。会社の規模は前よりもかなり小さくなりますが、地元で長く堅実にやっているので、不安はありませんでした。

農業系のビジネスに興味を持った、ということもあります。今までの業種とは畑違いになりますが、農業系はこれから動いていく業界だと思ったので。加えて、実は社長が高校の同級生でした。お互い「名前は知っている」くらいの仲でしたが、面接の場でざっくばらんに話し、これからの会社をどう伸ばしていくかについて共感できたことが大きかったですね。

妻の実家で生活。家賃がいらず、妻もご機嫌。自分も仕事に打ち込める。

転職していかがでしたか?

非常にやりやすいですね。いちばん心配していたのは、「外から経営企画が来て、わけのわからないことを言っている」と思われることでした。でも、皆さんしっかり情報も出してくれますし、協力的です。私が提案したことにも納得して動いてくれます。

私自身はというと、なるべく従来のやり方を理解し、尊重しながら、営業的なアプローチを活かしています。皆さん先輩ですから、「こちらの方がもっとうまくいくのでは?」と、敬意を払いながら提案しています。

今までの自分の経歴は、もう過去のこと。きれいさっぱり忘れて、皆さんと一緒に倉庫の片づけをしたり、冗談も交わしたりと、自分の中身を知ってもらえるように努力しています。

生活面での変化はいかがですか?

プライベートが充実したと思います。以前は毎晩10時~11時に帰宅。仕事柄、時差の関係で、夜に海外の拠点と会議をすることも多かったので。現在は8時~9時には帰宅できています。その時間であれば子どももまだ起きています。以前は出張も多く、子どもの顔を見る機会が少なかったように思います。

休日の過ごし方も変わりましたね。東京ではどこへ行っても混んでいるので、なかなか家族で出かけられなかったのですが、こちらではよく海に行ったり、山へ行ったりしています。

自分の時間も増えたので、勉強する時間を増やそうかなと考えています。住まいは妻の実家です。将来的にはこちらで家を持ちたいと思っているので、それまでは借りるよりも、妻の実家に住んだ方が金銭的に楽だというのが理由です(笑)。

奥さんの実家での生活はいかがですか?

問題ないですね。孫たちと暮らせるので、義両親も非常に嬉しそうにしています。私のことも大事にしてくれますし。子どもの面倒を見てくれるので、妻も精神的にリラックスしているようです。妻が満足していると、自分も安心して新しい会社にフィットできる気がします。

困っていることや課題はありますか?

あまり困ってはいませんが、強いて言うなら、給料が下がったこともあり、生活水準は見直さなければいけないと夫婦で話し合ったことくらいです。ただ、現在は家賃が必要ない環境ですしね。いちばんの課題は、これから仕事の成果を上げていくことです。

転職してよかったと思うことは?

働く場所も、職種も希望が叶いましたし、プライベートも充実しました。「地元に貢献したい」という、私が描いていたビジョンを目指せる環境も得ることができました。

今はまだ震災特需で仕事がありますが、「この波が引いたあとにどうするのか?」というのが、宮城のこれからの課題。外から助けてもらえるのは、そろそろ終わりです。だからこそ、外で学んできた自分が、役に立ちたいなと思っています。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

仕事に対して、もやもやした想いを抱えている人はたくさんいるだろうと思います。その状況を打破したいのであれば、行動してみることだと思います。私は転職活動を始めて2カ月弱で話がまとまったのですが、そんなに急展開するとは思ってもみませんでした。私のように、動き出したら一気に進むこともあります。その時の縁を逃さないことが大事だと思いました。

ただ、動く際は、優先順位を決めておくことがとても重要です。「最後に残るのは何か?」「何を手にしたくて転職するのか?」を明らかにしてから動いたほうが良いです。それが、迷った時や焦っている時に自分の支えになるから。転職活動中は不安なので、そういった支えがないと正しい判断ができなくなるかもしれません。私の場合は、希望職種がはっきりしていたので、ブレずに待つことができたのだと思います。

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