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「笹かまぼこ」ブランドを守りながら、新商品開発・新市場開拓に挑む。

株式会社阿部蒲鉾店
代表取締役社長 阿部 賀寿男

更新日:2025年7月02日

1965年生まれ。大学まで仙台で過ごす。大卒後、味の素株式会社に就職。東京支店に配属され、営業を担当する。3年半後、Uターンして父が経営する株式会社阿部蒲鉾店に入社。生産現場に入り、魚の身のおろし方や擂潰(らいかい)作業など、かまぼこ生産に必要な業務を一通り経験。その後、役員を経て2007年に代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

「笹かまぼこ」と名付けた90年の老舗。

仙台名産として多くの人に親しまれ、お土産に選ばれることも多い「笹かまぼこ」。この笹型に成形した蒲鉾を「仙台名産 笹かまぼこ」と名付け、世に送り出したのが私たち阿部蒲鉾店です。

創業は1935年。以来、90年にわたり、「どこにも負けないおいしいかまぼこを作る」という理念のもと、品質にこだわった食品づくりを続けています。

特に重要な原料の仕入れは、今も社長が責任を持って行う業務の一つ。創業者の祖父も、二代目の父も、毎日朝一番に市場へ行って原料となる魚を自分の目で確かめて仕入れていました。

今は私が後を継いでいますが、長く製造現場にいたので、「どういう魚だとどんな仕上がりになるか、美味しいかまぼこになるか」イメージできます。そうやって老舗の味を守っています。

品質とともにこだわるのが販売です。現在当社は仙台市を中心に15の直営店を開設。委託店を含めると合計32店舗を宮城・岩手・福島および関東エリアに展開しています。

自分たちが作ったものを、自分たちで直接お客さまに提供するスタイルを創業から守り続けており、接客力を磨くための研修・育成なども積極的に採り入れています。

おかげで、ネット販売なども行う今日でも売上の大半を占めるのは直営店です。品質へのこだわりと接客力。この二つを大事に、今後も歩みを続けていきます。

震災、コロナ禍を乗り越え、歴史を刻む。

90年の歴史を刻む中で、困難もありました。1970年ごろ、東京の大手食品メーカーに「笹かまぼこ」の商標登録を申請されるという問題が発生しました。商標登録されてしまうと、当社はもちろん、仙台に数多く存在するメーカー全てが「笹かまぼこ」の名前を使えなくなってしまいます。

そこで私たちは、共有財産である「笹かまぼこ」の名を守るため、宮城県蒲鉾組合を結成。大手メーカーとの交渉にあたった結果、「笹かまぼこ」はそのメーカーと宮城県蒲鉾組合に加盟する会社だけが使用できるという結論に至りました。笹かまが宮城県でしか作られないブランドとなっているのは、そのためです。

2011年の東日本大震災では、工場が被害を受けました。天井が落ち、水道が使えず、商品の生産が全てストップしてしまったのです。工場が稼働しないので、店舗も開けません。もちろん売上はゼロです。

社員やパートさんも不安だったと思いますが、絶対に雇用は守ろうと、あちこちに工場の修繕を依頼。みなさんに協力いただいたおかげで、1ヶ月後に何とか1ラインだけ復旧しました。そうして徐々に復旧し、一息つくことができたのです。

2020年のコロナ禍も大きな痛手でした。出張や観光などでやって来るお客さまの流れが途絶え、お土産需要がゼロ。いつ終わるのかもわかりません。

激減した売上をカバーするため、ネット販売を強化しました。笹かまだけでなく、冷凍したひょうたん揚げもネット販売を開始。そうして売上を作る間にコロナ禍が一段落し、観光の足も戻って来ました。

昨今は海外からのインバウンド需要もあり、笹かまの手焼き体験を楽しんだり、ひょうたん揚げを食べ歩く外国人旅行者も増えています。しかし、海外の観光客がお土産に購入するケースは多くありません。当社の商品は全て保存料を使っておらず、長く持ち歩くのに不向きだからです。

レトルトを利用した常温保存の商品も作れなくはないのですが、蒲鉾はシンプルな味で見た目も白いため、レトルト特有の匂いや変色が起こりやすいのです。品質を維持しつつ、常温保存を可能にするにはどうすれば良いか、というのは今後の課題の一つです。

「不易流行」の姿勢で進化を続ける。

阿部蒲鉾店は地元では老舗と呼ばれる会社です。老舗にふさわしく、品質や丁寧な接客については、従来と変わらぬ姿勢でこだわっていかなければなりません。

しかし、何でも「従来通り」ではありません。時代に流されない「不易」とともに、情勢に応じて自らを変える「流行」を併せ持つ、「不易流行」を体現した会社でありたいと考えています。進化を恐れていては未来がありません。

実は当社は以前から、さまざまな課題にチャレンジして新しい価値を柔軟に実現してきました。

戦後間もない1948年、創業者の祖父は、笹かまの大量生産が可能な電力式自動笹焼き機を独自開発。しかも祖父はパテントも取らず、県内の同業他社にも設計図を公開しました。この笹焼き機の誕生が、業界全体の発展に寄与したのです。

ボール状の蒸し蒲鉾を、アメリカンドッグ風に揚げた「ひょうたん揚げ」の開発は1985年。持ち歩いて食べられる手軽さが受け、1日で4000本も売れる定番商品に成長しました。

今では宅配業界で当たり前になっている、「商品を冷蔵のまま送る」サービスの開発にも当社が関わっています。かつては箱にドライアイスを詰めて郵送していましたが、それでは冷蔵状態の維持に限界がありました。

そこで大手宅配業者に「冷えたままで送れないか」と相談し、一緒に研究を重ねて冷蔵での宅配を実現。事実、当社は冷蔵宅配の法人契約第一号になっています。

組織面で言うと、女性の活躍を早くから支援してきた会社でもあります。笹かまぼこのような商品を購入する際、決定権の多くを握るのは女性です。女性に選ばれる商品を作るには、女性の発想や感性に頼るのがベストなのです。

店舗での接客は以前から9割方、女性が力を発揮してくれていました。昨今では店舗主任やスーパーバイザー、あるいは商品開発といったポジションでリーダークラスに登用される女性社員が増えています。これも当社の柔軟性の一環と言えるでしょう。

蒲鉾は、アスリートの体づくりにも役立つ。

2025年、当社は創業90周年を迎えます。それを記念し、今年は新商品をリリースしていこうと考えています。コロナ禍のダメージから回復し、発展に向かうには、攻めていかなければなりません。

当社は地元の仙台を基盤に関東圏ではまずまずの実績を作っています。しかし西日本での売上はほとんどありません。笹かまの知名度を上げていけば、もう少し西日本の市場を開拓できるはずです。

また、現在はお土産需要が中心ですが、日常的な食品と認識してもらえば、東北・関東エリアでも需要を掘り起こせるでしょう。そこで今、注目しているのが「健康・体づくり」という切り口です。

蒲鉾はタンパク質を多く含み、消化が早いという特徴を持っています。アスリートは体づくりのために鶏肉を摂ると聞きますが、蒲鉾の方が消化に良いのです。

そこで当社は、仙台にある野球やサッカー、バスケなどのプロスポーツチームに所属する管理栄養士と連携。アスリートの体づくりに役立ててもらうため、蒲鉾を提供しました。

こうした取り組みが広がれば、アマチュア選手やジムで体を鍛える一般の社会人からも日常的に蒲鉾が選ばれるようになるかもしれません。

海外にも目を向けています。健康に良いと言われる日本食は世界的に人気が高く、蒲鉾の需要も拡大しています。特に多いのはカニカマで、欧米では大きなマーケットを形成しています。

東南アジアではフィッシュボールとしてラーメンに入れて食べるなど、すり身食文化に馴染みがある国も少なくありません。これからは海外への輸出にも力を入れていきます。

100周年へのマイルストーンを共に構築してほしい。

当社がさらに成長を遂げるためには、人材の力が不可欠です。キャリア人材は年に数人程度採用しており、役職者として能力を発揮しています。

当社はベテランと20~30代の若手の間をつなぐ中堅層が手薄なので、経験や意欲を持った方はしかるべきポジションで活躍してもらえると思います。

製造と販売を両輪に事業を展開する当社では、お客さまの声をダイレクトに聞けます。「おいしかった」というその一言が、大きなやりがいにつながるでしょう。

「笹かまぼこ」は、仙台・宮城を代表する名産の一つ。贈答品ランキングでも地元では常に上位に入っており、「地元の顔」と言っても過言ではありません。それほど愛されている商品づくりに関わることで、地元に貢献できる。これこそ阿部蒲鉾店で働く、最大の醍醐味です。

2035年に当社は100周年を迎えます。記念すべき100周年を実りあるものとするため、今後10年間のマイルストーンや経営計画を策定しようという強い意思もあります。

その時にぜひ、力を貸してほしいのです。共に意見を交わしながら、10年先のビジョンを共に築いていきましょう。

編集後記

チーフコンサルタント
菅原 大

宮城県出身の方であれば、一度は食べている阿部蒲鉾店の「笹かまぼこ」。私自身も幼いころから馴染みがある商品です。

今回のインタビューは老舗企業ならではの強い“こだわり”と、時流に柔軟に対応してきた“しなやかさ”の一端を伺える時間となりました。

100周年に向けて力強く進んでいく同社の勢いと同時に、「蒲鉾」の新たな可能性を感じられ、さらなる同社の躍進に期待が膨らみます。

採用のお力添えはもちろん、一人のユーザーとしても同社を応援していきたいと思います。

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